今年のゴールデンウィークの、不思議な体験を書かせてもらいます。

わたしの家にはスーザン(仮名)という、サンディエゴからの留学生が滞在していました。
母が婚前に英語の教師をした影響か、海外の留学生を受け入れるのが好きで、
わたしが高校を卒業したあたりから、隔年で自宅に留学生をホームステイさせていました。

スーザンは、片言ながらも日本語でコミュニケーションをとれました。
わたしが居る前では、必ず日本語を話します。
単語が出てこなくて、意思の疎通が難しい話題になったときに、
わたしが辞書片手に英語を使うと、物凄い剣幕で怒ります。「勉強にならない」と。
なので、わたしもスーザンの前では日本語しか話しません。
わたしと同年代ということもあり、恋愛の話などを気楽に出来る良い友達でした。

ゴールデンウィークの休日、
スーザンと一緒にドライブで少し田舎の方まで、一泊二日で出かけることになりました。
スーザンは、日本の自然がとても好きでした。
我が家は割りと都市部のゴミゴミした場所にあり、毎日混みあう電車で通学するスーザンに、
たまに美味しい空気を吸わせてあげようと、わたしが企画しました。

二つ隣の県にあるお城を、見に行くのが目的のドライブでした。
わたしは運転に不慣れですが、カーナビのおかげで道に迷うことも無く、
天気の良さのおかげで心地よい風を感じながら、畑が広がる田舎の県道を走っていました。
カーナビが『100メートル先、左折です』というので、
小さな交差点でわたしは左にウィンカーをあげ、ブレーキを踏みました。
道の先をみると大きな交差点があり、カーナビが曲がれと指示した場所は、
その大きな交差点だったことに気づきました。
後ろからぴったり車が付いてきているので、減速してウィンカーを上げた以上、曲がらないわけにもいかず、
わたしは仕方なく、手前の交差点を左折しました。

左折した先の道は、一本道の農道のような場所でした。
とても道幅が狭く、父から借りたワンボックスの大きさのために、Uターンも難しく、
横道がないために折り返すことも出来ないので、しばらく道なりに進みました。

結構長いこと真っ直ぐ進まなければならず、仕方なく進んでいくと、いつの間にか住宅街になっていました。
木造の古い家が両側に立ち並んでいます。住宅街というよりも、集落のような感じです。
どの家も駐車スペースがなく、なかなか折り返すチャンスがありません。
前方には山があり、折り返すことができないまま、突き当りまで進んでいきました。

突き当りは、20台ほど駐車できそうな駐車場になっていました。そこは神社の駐車場でした。
駐車場には、白地に黒で『学業成就』『長寿祈願』と書かれたのぼりが、何本も立ち並んでいます。
スーザンに「何が書いてあるの?」と聞かれ、わたしは学業成就の意味を教えました。
日本文化なら何にでも興味を示すスーザンははしゃぎ出し、「神社の中を見たい」というので、
一旦ここで車を降りて、神社の中を見て回ることにしました。

わたしも多くの神社を見たわけではないですが、外からの眺めは、神社としては珍しい感じがしました。
境内はお城のような高い白壁の塀に囲まれ、全く中が見えません。
塀の切れ目に鳥居が建っており、そこをくぐって中へ入りました。
中を見て驚きました。ビックリするくらいに綺麗なんです。そしてとても広い。
手入れが行き届いた植木たちに、まっ平らな砂の地面。まるで京都の観光地のようです。
境内には涼しげに小川が流れています。小川の向こう側は、木が鬱蒼と茂る山があります。

境内に、ホウキを持った若い神主さんらしき人を発見しました。
「年末や受験前シーズンならまだしも、この時期に若い女性が来るなんて珍しい。
 それ以上に海外の方が来るなんて、初めてかもしれない」
と話しかけられました。
その男性に学業成就のお守りを売ってもらい、スーザンにプレゼントしました。
「ごゆっくり休んでいってください」といわれたので、
慣れない長時間の運転で疲れたわたしは、
自販機で買ったジュースを片手に、境内のベンチに座って少し休んでいくことにしました。
連休中なのにわたし達以外に参拝客はいないようで、とても静かです。

自然と日本の伝統建築物が大好きなスーザンは、興奮気味です。
そのとき、スーザンが小川の先を指をさして、「あれはなに?」と言いました。
小川の向こう側には鳥居がありました。
神社の中にまた鳥居があるなんて不思議だな、と思いながらその先を良く見ると、
山の中へ入っていく石段のようなものが見えました。
スーザンが興味深々なので、間近で見ようと一緒に鳥居へ近づいていくと、
その鳥居が、女性の腰くらいの高さの小さなものであることがわかりました。

スーザンは、「その小さな鳥居をくぐりたい」と言い出しました。
しかし、小川沿いに境内を端まで歩いて探しても、
向こう岸に渡ることができそうな橋が、全く見当たらないんです。
小川は幅は3メートルほどで、くるぶしあたりまでの深さしかなく、暑いくらいの天気なので、
靴と靴下を脱いで、裾をあげて、裸足で小川に入って、向こう岸に渡ることにしました。

向こう岸に渡り靴を履きなおすと、スーザンは四つんばいになって、その小さな鳥居ををくぐりました。
わたしもジーンズを汚しながら、四つんばいになって鳥居をくぐり、スーザンと顔をあわせて笑いました。
鳥居の奥の山へ登っていく石段を見上げると、わたしは急に、その先に何があるのか気になりだしました。
スーザンも同じ思いだったらしく、わたし達は何も言わずに石段を登り始めました。

石段はすぐに終わり、普通の山道になりました。
木で日光がさえぎられ、とても涼しくて良い気分です。
さらに上へ上へと足を進めていくと、また小さな鳥居があり、再び石段が始まりました。
鳥居の横には石碑が建っており、神社の名前が書いてありました。
わたし達が最初に入った大きな神社とは全く違う名前です。

地面が濡れていて、さすがに四つんばいで潜るのは気がひけたので、
鳥居の外側を回り、更に石段を少し昇ると、人影が見えました。二人組みの子供です。
近づいていくと、二人の子供たちが、小さな声で何か歌っているのが解りました、
それと同時に、その歌声から、その二人組みが子供ではなく、小さな老婆であることがわかりました。
わたしたちに気づいているはずなのに、彼女たちは歌をやめる気配は全くありません。
歌は聴きなれない言葉がちりばめられていて、
「どうかあと10年生かして欲しい」といった内容で、
「ありがたき」という単語が何度も出てくる、不思議なものでした。

石段がある坂の左手に小さなお堂があり、老婆たちはそこへ向かって手を合わせています。
老婆達はこの暑さの中、毛糸で編まれた厚手のカーディガンを着ています。
老婆たちの背中越しに、わたしもそのお堂に向かって手を合わせました。
わたしの動きにつられて、スーザンも手を合わせます。
お堂には、茄子やピーマン、キャベツといった野菜が大量にお供えされています。
その上の段には、大豆のような形で、表面がガタガタの球体がありました。
大きさは、バスケットボールよりも二周り小さいくらい。
どうやら石でできているようで、光沢感があり、木の間から差し込む光に反射しています。

歌が終わると老婆たちは、わたし達のほうを振り向きました。
老婆達の顔をみて、一瞬ぎょっとしました。
彼女達の顔が真っ赤だったんです。朱色と言えば伝わりやすいでしょうか。
老婆たちは、不思議な化粧をしていました。
眉間のあたりから眉の上を経由してあごを通って、顔全体を一周するように、
口紅のようなものを塗っていたのです。

最初は血か何かだと思い、かなり驚きました。
驚きのあまり、「こんにちはー」と声を上ずらせて挨拶すると、
老婆達はさっきの神主と同じように、聞き慣れないイントネーションで話しかけてきます。
最初に年齢を聞かれました。老婆たちの言葉は、今となっては細かく思い出せません。
「何歳か?」という問いに、「23歳です」と答えると、
「まだ若いので、これ以上石段を登るのは、バツをほうず(る?)」と言われました。
細かい言葉までは覚えてないのですが、”バツをほうずる”というフレーズだけ頭に残っています。
老婆にそう言われ石段の上へ目をやると、
お堂がある場所(わたし達が居る場所)からさらに長い距離、真っ直ぐ石段が続いており、
突き当りには大きな社があります。
社の前に、人影が見えますが、木が鬱蒼としてて薄暗くて良く見えません。

その時、スーザンが老婆達の前で、初めて言葉を発しました。
お堂の中を指差し、そこに祀られている、大豆のようなゴツゴツとした石のような物体を指をさしながら、
「これはなんですか?」と訊いたのです。
すると老婆達が、「ギエー!」という大きな悲鳴を上げました。
「日本人じゃない!」「バツをほうず!」「今すぐ降りろ!」「降りろ!降りろ!」
とまくし立て始めました。
スーザンは目が青いものの、黒髪で体格も小さいので、
老婆達はスーザンがアメリカ人であることに、彼女が片言の日本語を発するまで気づかなかったのでしょう。

上の大きな社へ目をやると、老婆達の悲鳴を聞いたからか、
先ほど見えた人影が、こちらへ向かって降りてくるのが見えました。
動きは急いでいるようですが、足がわるいのか、ソロリソロリと降りてきます。
わたしは怖くなり、スーザンの手を引いて足早に石段を駆け下りました。
その時のスーザンの手は、酷く汗ばんでいて冷たかった。

一度も振り返らず、山に入る時に四つんばいになってくぐった、小さな鳥居のところまで降りてきました。
二人とも急いで靴を脱ぎ、小川を渡リはじめた時、異変に気づきました。
先ほどはくるぶし程までしかなかった小川の深さが、膝に達するくらいまで深くなっていたのです。

なんとか反対岸まで渡り終え、後ろを振り返ると、
スーザンは、小川の真ん中で立ったまま動かなくなっています。
「スーザン?大丈夫?」と問いかけると、
決してわたしの前で英語を喋らないスーザンが、英語で絶叫し始めました。
英語が苦手なわたしは、全くなにを言っているのか聞き取れません。
絶叫が途切れ口をパクパクさせた後、スーザンはそのまま川の中に倒れこみました。
その時、わたしは後ろに気配を感じました。
後ろには、お守りを売ってくれた若い神主さんらしき男性が立っていました。
彼は服が濡れるのもいとわず川に入り、スーザンを支えるようにして、こちらの岸まで連れてきてくれました。

スーザンは体に力が全く入らないような状態になっており、呼吸も荒くなっていました。
神主さんらしき男性と二人で、スーザンを抱えるようにして車まで運びました。
男性は、わたし達の車が駐車場にあるのに、わたし達の姿が見えないことを心配して、
あたりを探していたそうです。
「まさか、あの深い川に入で水浴びしてるなんて思わなかった」と言われ、
「最初はくるぶしくらいの深さしかなかった」と答えると、男性は酷く驚いていました。

さらに、わたし達が石段を登った先で見たものについて話すと、男性の顔が一気に青くなりました。
そして、わたし達が石段の上へ行ったことについて怒りました。
老婆達について深く聞こうとすると、「いるはずがない」「入れないように橋を撤去した」と言い、
男性は更に顔を青くして震えだしました。
続けて彼は、「早く帰ったほうがいい。今日のことは忘れたほうがいい」と言いました。
わたし達が体験したことについて、もっと詳しく聞きたかったのですが、
男性の尋常ではない対応を眼にして、それ以上質問を続けることはできませんでした。

スーザンの具合が悪いので、わたしは車を発進させ、神社の駐車場を出たのは、お昼を少し過ぎたあたりでした。
住宅街を抜けて、県道へ出て、そのまま自宅へ引き返しました。
スーザンはその後、風邪を引き高熱を出しました。
数日は食べ物も喉を通らず、なんどか病院で点滴を受けていました。

スーザンは8月に帰国してからも健在で、未だにメールの交換を続けています。
ただスーザンは、あの日のことを良く覚えていないようです。
「神社の川でおぼれたのは覚えているんだけど」
それが彼女の唯一の記憶のようです。

わたし一人が白昼夢をみたのでしょうか。
あの老婆達は何者だったのか?
小川の向こう側の小さな神社の正体は何だったのか?
気になるものの、あそこへもう一度足を運ぶ勇気がありません。
今でもたまに、石段を登る夢をみることがあります。